■行ってきました

御在所山:25年振りの親子山行 2010.5.4  T.Yamada

39歳になる長男が一緒に山へ行こうと言っている。昔息子が小学校3年生から中学2年まで一緒に鈴鹿の山々をはじめ北アルプスや南アルプスにも何度も足を運んだ。しかし小川山の岩登り講習を受講した時足が地に着かないようなことはやりたくないと言って山登りを止めてしまった。そんな彼が5月の連休にもかかわらず山に行かない父を見てか父の弱ってきているのを気遣ってか鈴鹿の山へでもと言う。そこで2人で何回も通った御在所山を5月4日裏道から登り中道を下る計画をして山行部長のKMさんに連絡し会事務所のポストに計画書を提出した。

1. スカイラインに駐車
快晴の朝を迎えた。息子の車で潮見ICから高速に乗るも渋滞はない。しかし空は春霞の典型で鈴鹿の山々は全く見えない。スカイライン行き止まりに作られた駐車スペースは既に満車だ。トンネルの上下にある駐車場も満車ですでに道の端にも何台か止めてあった。天気が良いので登山者が多いのであろう。
2. 藤内小屋
スカイライン裏道登山口を入って2つの鉄橋を渡るとすぐ工事のための迂回路になる。日向小屋のあったところ(今は跡形もない)を右岸から高巻いて道が作られている。下って左岸に移り右岸に渡る鉄橋の四の橋は木橋になっている。旧登山道を行き崩落後岩石の積み重なった中を行くようになっていたところにも新しく右岸に道が出来ていた。藤内小屋は補修され営業されている。周りの補修は継続されているようだ。息子は昔の状況を思い出そうとしているようであった。
3. 兎の耳を登るクライマー
積み重なる岩石の間を縫って道が作られている。気温がドンドン上がり日陰になる何物もない。息子が岩を登っていると言う。兎の耳に近づいてクライマーが登っているのがわかった。息子はハングしているのだなーと眺めていた。暑い。
4. クロモジの花?
左岸に渡り登山道を行くと谷の右岸を登る単独者がいる。藤内壁に行く近道なのであろうか大昔のキャンプ場のあった辺りは崩れて跡形もないと思うのだが。藤内壁への分岐を過ぎると左下に滝が見えた。息子が黄色い花が咲いていると言う。クスノキ科には違いない。新芽の周りに花が取り巻いている。枝が緑がかっている。クロミジ?としておこう。息子は藤内壁を見て声は聞こえるが誰も登っていないと言っているが思い出しているのだろうか。
5. 国見峠
谷側に付けられていた旧登山道が崩落したところが何箇所かあるがすべて山腹に登山道が付けられている。国見峠に着いた時息子が「昔この峠から暗くなってこの谷を下り下の谷の手前いつもテントを張ったところまで苦労して行ったよね」と言う。そう言えば釣りをするために何回も上水晶谷と神崎川の出合手前でテントを張ったのだ。よほど暗くなって歩いたことが印象深かったのだろう。
6. タテヤマリンドウ
朝陽台から広場に下りミズバショウを見るが水が少ないためかみすぼらしい姿である。そのうち無くなる運命に思われた。息子はこのようなものは無かったよなあと言う。カモシカセンターは今も無くなったがその頃も無かったと思う。スキー場の中を歩けるように開放している。中を登って行くとシバのように小さいササの中にタテヤマリンドウが散らばって咲いている。ハルリンドウ?と思いきやタテヤマリンドウとの標札があった。この一帯は観光客にまじって登山者がいる感じで人が多い。
7. 望湖台にて
スキー場の中を三角点に行くも人人である。望湖台にも多くの人がいてゆっくりはしていられない。登山者に雨乞岳をバックにシャッターをお願いした。息子が「昔御在所に登った時はどこで食事をしたのかなあ。岩の上でバーナーを点火したように思うが」という。全く記憶にない。岩の上であればここであろう。雪の上でラーメンを食べた憶えはあるのだが。
8. タムシバ
山頂の喧噪を避け人のいないところでゆっくりしたいと思い上水晶谷左岸尾根を少し下るとタムシバが白い花を付けていた。
9. 上水晶谷左岸尾根に入って
この尾根は昨年4月18日に登って判っていた。人が入っていないのでここで食事をすることにした。息子が湯を沸かしカップラーメンに湯を入れてくれた。尾根の向こうに雨乞岳・杉峠の頭・イブネ・クラシ・銚子ヶ口を正面に見ながらのんびりと食事をした。
10. アカヤシオ
山頂公園の車道に出て朝陽台に向かうとアカヤシオが多い。平原状になった山頂台地にもピンクのアカヤシオや白いタムシバが目立って綺麗であった。
11. 中道から振り返る
富士見台から中道を下って行くとこの時間に登ってくる登山者が続々やってくる。1000m地点から山頂を振り返ると点々とアカヤシオが咲いていた。
12. キレットを登って
息子は「ここは来た憶えがない」と言う。しかし御在所山には裏道・中道・表道・峠道・本谷道には登っているのだが遠い昔のことで忘れてしまって印象に残っていないのだろう。アカヤシオが咲いている。向こうにハライドその奥に釈迦ヶ岳が見えている。駐車場に戻り25年振りの親子山行は無事終了した。

概念図はこちら

息子と一緒に山を歩くようになったのは札幌にいた小学校2年の時であった。3年に名古屋に戻りその後の6年間に鈴鹿の山々・槍穂高・剣岳にも何回か行った。そのころはまだ若かった。今の父を見てどう感じたであろう。彼自身も25年振りの山行であった。なお息子と歩いた時の写真はゴミと間違えられ今は残っていない。
帰路渋滞を避けて阿下喜経由にして喫茶「じょあん」と「阿下喜温泉」に寄り桑名で「歌行燈」で食事をした。親孝行のつもりであろう食事代を息子が払ってくれた。運転・ガソリン代も息子持ちでの山行であった。良い思い出が一つ増えた。