初めてのアルプス縦走と苦い思い出
槍を目指せ!北アルプス表銀座を行く
記: あつた労山 福田

 鈴鹿7マウンテンを登り終えたら山登りをやめようと考えた時があった。姉の付きあい程度だったし、今程山登りに興味が無かったせいでもあった。 それが、あつた労山に入るずっと昔の5月に姉の入っていた山岳会の上高地から屏風岩近くの本谷までのハイキングに参加させてもらって、初めて3000m級の山を眺め、私も一度登ってみたいという気持ちになった。 山行の打ち合わせも食料の買出しにも参加させて頂いた。その年の8月に姉に北アルプスに行ってみないかと誘われ、喜んで参加した。
 自分なりに走ったりしてトレーニングはしたが、うれしい反面、不安もあった。

 合戦尾根の急な登りでは、初めての重いザックにへとへとだった。小屋泊りだし今思えば何の事はない重さだけど、あの時は本当にしんどかった。 でも、その重い原因の共装も含めた食料品は、実においしかった。

 途中のお花畑では、私の好きな黄色のウサギギクとかわいいピンクのハクサンフウロに初めてあった。 疲れを癒してくれるかのようなさわやかさを感じさせてくれ、この二つの花の名前は、今でも忘れることはない。
 ガスっていた空が明るくなり青空が見えた時、大天井岳と燕岳と燕山荘が見え、この時「山へ来たんだなー」なんて改めて感じた。

 次の日の朝、朝焼けを見て、雲海のはるかかなたに富士山が見え、自分がこんな高い所にいるという事に感動、立山連峰や裏銀座と堂々とそびえ立つ槍ヶ岳も見え景色のすばらしさに何度も感激したのを覚えている。 天気も体調も良好で、あこがれのコマクサを見ることができ、富士山と槍ヶ岳を見ながらの稜線歩きは、楽しかった。

 ヒュッテ西岳で昼食をとりその後、最初は何でもない下り、そのうち急に下の方に人が見えると思ったら、ハシゴが二つ三つとクサリは見えるはで、当時は冷や汗の連続、緊張につぐ緊張、顔はひきつり、ハシゴを持つ手は震え、それにキャラバンシューズの底についている金具(アイゼンのよう)とハシゴがあたるキュッという音にドキドキ。

 ほとんどAさん(姉の山岳会の人)、私、姉、義兄(当時は姉の彼氏)の歩行順で、水俣乗越からは、ひたすら登るのみ。 下りになるとすごくとばすAさんのペースが落ち、私は、もう少しペースをあげても良いのではと、ずうずうしくも物足りなさを感じていたのだが、初めてのアルプスの山、長時間歩行、睡眠不足、疲労が重なりつつあり、それに岩場ばかり登っている事への恐怖、いつからともなく高度に対する怖さを感じていた。 ハシゴが三段連なっている所なんて本当に怖かった。
 やはり初心者は初心者でしかないと改めて感じたのは、ガイドブックとか山の本を読んでコースも計画も頭に入れて、ある程度知ったような気になるが、紙面上での登山と実際の登山の間にあまりにも違いがある事を知った時だ。 自分があれほど、高度に対して恐怖を感じるとは知らなかったし、ずうずうしく感じた物足りなさなんて、後で考えればペース配分にはあれで良かったのだとも思える。

 大槍ヒュッテでひと休みした後、この日の宿泊地である槍ヶ岳山荘目指して出発。 少しバテ気味の私もあと一時間程で着けるというので張りきっていたのだが、岩また岩の足場の悪い場所の連続で、“足場注意”“スリップ注意”“落石注意”などの文字や下の方に殺生ヒュッテ付近が見え出し、またもや怖くなってきた。 前方はガスでまっ白だし、こんな岩ばかりの所に小屋が本当にあるのかと思ったりして、すっかり元気を失っていた。 そんな風に思っていると、またも現れたハシゴ、ガーンと来た。山小屋が見えた時は、本当に天国のようだった。

 小屋前、みんなでお疲れ様の乾杯、その時は大満足だったが、部屋に案内され荷物の整理をして槍の穂先を見に行こうと外に出てしばらくした時、気分が悪くなりトイレに行こうと小屋に入ってひとつめの階段の所で、急にめまいがし一段ものぼることができず、てすりによりかかって立ちすくんでしまい、回りの人が「どうしたんですか」「大丈夫ですか」と尋ねてくれるのだが、思うように言葉が出ない、一言も口に出せない状態だった。 やっと階段に座り込むことができ、口がきけ、小屋の人が外の仲間を呼んできてくれた頃、突然、両腕と顔の下半分と胃のあたりにしびれが襲った。

 義兄の肩を借りて診療所に行き診てもらったら、睡眠不足と疲労による軽い高山病だと判断され、ぶどう糖を打ってもらい、セーターを着て暖かくし、しばらく横になっていたらしびれもおさまり、気分も良くなってきた。 みんなに心配かけてすまないと思った。また、疲れ過ぎの体にはビールも良くないと思い、今でも山では控えるようにしている。

 次の日の朝は、雨また雨の最悪の状態でガスがかかり槍の頂上付近は全く見られずじまい、Aさんだけが槍に登り、ほかの三人は小屋でゆっくり休んでいた。 私には、槍ヶ岳に登るには早過ぎるということかなと思った。 この日は、槍沢を下り徳沢泊りで翌日帰宅。

 良い思いと苦い思いの両方を経験して、この縦走で私の山屋の一歩が始まったような気がしている。