思い出の本(2)
〜 「これからのバックパッキング」 〜
記: あつた労山 縄文人

登山靴のソールを張り替えることにした。ゴムはまだ残っているが、角はまったく残っていない。よくぞここまで使ったものだ。自分の事ながら、あきれた。私が昔やっていたバイク競技では、競技の前に(山が減っていなくても)タイヤを新品にするのが当たり前だった。角が丸くなるだけで、てきめんにグリップ力が低下するからだ。

こんな時に思い出す本がある。「これからのバックパッキング」(ジョン・ハート著、森林書房、1980年発行)だ。

この本の副題は「シエラ・クラブからローインパクト法の提案」となっている。 「ローインパクト」と言うのは、今風に言うと「自然にやさしい」ということである。 当たり前だって?この本は、徹底度が違う。 例えば、ザックやテントの色は自然に溶け込むような色にしろ、と言うのだ(当時ザックは赤か青、テントはオレンジ色と相場が決まっていた)。まだ新興メーカーだったモンベルが緑色テント「ムーンライト」を出したのは、ちょうどこの頃である。

この本は、更にこう説く。「歩くだけでも、自然を破壊している」 そして、アメリカの事例をいくつか挙げる。話は当然ソールにまで及ぶ。ビブラム(これは社名である)のよくあるゴツゴツパターンではなく、フラットソールにしろというのだ! もちろん、地面が荒れることを防ぐためである。
この本を読んで数年後、私は初めて「北アルプス」へ行った。折立から薬師岳に入る道を歩いた。この登山道は、無残だった。高山帯では、人が歩くだけで植生や地形がこんなにも崩れるものかと驚いた。「歩くだけでも、自然を破壊している」ということがよく理解できた。後に膝を痛めて登山用ストックを使い始めた時も、まず自然への影響を心配した(この本の影響である)。1994年時点では、そういう指摘はまだ少なかったと思う

駅前アルプスの店員さんは「どんな靴底にしますか?」と訊かなかった。ビブラムの「あれ」に決まっているからだ。結局、フラットソールは広まらなかった(日本の低山では、グリップ力が低くて使い物にならないだろう)。しかし「ローインパクト」という考え方は、「自然にやさしい」という言葉で今に受け継がれている。

かつて、自動車のスパイクタイヤによる粉塵が問題になった事がある。あの時、スパイクタイヤ禁止に抵抗する人々の言い分は「グリップ力が低下する」というものだった。しかし、結局スパイクタイヤは製造停止となった。同じように「高山帯の○○登山道は1日○○人まで。靴はフラットソールか地下足袋」なんていう規制が実現してもおかしくない時代になってきた。20年前に出たこの本の存在意義は、まだ消えていない。これは、私にとって忘れられない名著である。

(蛇足1)折立ルートにはその後大きな石畳が敷き詰められ、また別の意味で無残な景観になっているそうだ。
(蛇足2)今では「ローインパクト」はエアロビクス用語となっているようだ。何と(自然ではなく)「人間の脚にやさしい」という意味で使われているらしい!