私の失敗 |
〜 夏山雪渓 滑落編 〜 縄文人 |
●一つの典型でしょう きっかけは、雑誌の夏山臨時増刊号だった。木曽駒ヶ岳ロープウェイから少し歩いた所にある「濃ヶ池」が紹介されていた。「どう、ここ」「いいねえ」当時の我が家は、夫婦二人だけの気楽な生活だった。その週末には、千畳敷にいた。 まだ6月だった。千畳敷には雪がいっぱいあった。ロープウェイを降りて少し歩くと、登山道は雪で隠れていた。「まあ、高度が下がれば雪も溶けとるわ」私たちは雪の中へ、ズボズボと入って行った。 ところが、沢筋を降りれば降りるほど、雪は増えていった。「池、ないねえ」池なんて見つかるはずがなかった。辺りはみんな雪に埋もれていた。それでも、私たちはどんどん沢筋を降りて行った。 「キャーッ!」カミさんの悲鳴が前方から聞こえてきた。私はあわてて声を追った。 今にして思えば、あれは滝か堰堤だったのだろう。雪が積もっていて、上から見ていると、それが分かりづらい。カミさんは、そこをまっしぐらに落ちていったのだ。私は後ろ向きで慎重に滑り降りた。幸いカミさんにケガはなかった。もう濃ヶ池どころではない。千畳敷に戻ろう。 ●装備に泣く 見上げると、今落ちてきた所は、とても登れそうになかった。谷底から尾根に上がるしかなかった。私たちは、アイゼンを持っていなかった。ピッケル・ストックも当然ない。靴はナイロンの軽登山靴だ。この柔らかいソールでキックステップするしかなかった。足はたちまち濡れて冷たくなった。靴下はもちろん夏用だった。 当時の私たちの目には、それは見上げるような大斜面だった。登っても登っても、千畳敷は見えてこない。地図とコンパスを持っていなかったので、とにかく闇雲に上に行くしかなかった。硬い雪にステップを切ったり、柔らかい雪にもぐったり、雪をかぶったハイマツの上を(時々ハイマツの間にハマりながら)歩いたり…。息はすぐに上がった。しかし、休んでいるわけにはいかない。二人とも必死だった。 どれだけ歩いたのだろう。ようやく稜線が見えてきた。「助かった!」本気でそう思った。二人ともクタクタだった。予定を変更して、山小屋に泊まることにした。6月の稜線は寒かった。防寒着を用意していなかったので、震えながら眠った。この話は、帰りの高速道路でレーダーに捕まって免停になるというオチがついて終わる。 ●その後 二人が揃って「あつた」に入ったのは、この年の12月のことである。こんな目にあっても、雪山を歩きたかったのだ。そのために、書籍だけではなく、山岳会の先輩の教えを求めたかったのだ。これは、6月の千畳敷で痛い目にあったせいかもしれない。 ●恥をさらしているワケ 今頃になってこんな事を書いているのは、「峠蕗」前号のTさんの原稿がきっかけだ。同じ失敗を繰り返してはならない。そのためには、失敗も共有財産にするべきだ。あの時、滑落したカミさんが骨折し、天候が悪化していたら、私たちは二人とも死んでいただろう。「あつた」には、今回紹介したようなレベルの低い失敗をする方はいないと思う。しかし、知り合いの中には、こんなレベルの方がいるかもしれない。今回の話が、そういう方の安全登山の一助になれば幸いである。 |