おにぎりの思い出
初めて登った山
記: あつた労山 ツツイ

 もしあれがはじめての山だとしたら、それは「おにぎり」の思い出である。

 というのも、登った山の名も山頂に立ったという記憶もないからだ。おそらく小学校の低学年だったと思うが、父親が山に石を取りに行くというので、家族そろってその山に行くことになったのだ。

 今のような娯楽産業など皆無だった当時、それでも好奇心旺盛の父は、忙しい仕事の合間を縫っていろいろな趣味を楽しんでいた。趣味といっても何もない三河山間部でのこと、川へウナギ針を仕掛けたり、ヘボ(ジバチ)の巣を捕ったりと自然を相手にしたものが多かった。

「石を取る」というのもそのひとつだった。色や形の変わったものを拾ってきて紙やすりなどで磨き上げると、平凡な石が生まれ変わったような色合いを見せて輝く。子供心にもその変化する様は驚きで、飽かずに父の手元を見ていた記憶がある。

 自宅からさほど遠くない村内の山だったと思う。その山でどんな石を拾ったのか覚えていない。ただそこは石英の取れる山だったから、万が一の「水晶」目当てだったのかもしれない。

 ガラス光沢をもつ白い石が無数に広がる斜面で昼食となった。それ程の登行ではないはずだが、ひと歩きしたという気持ちがありとにかく腹がへっていた。

 母が出してくれたのは「おにぎり」だった。おもむろにかぶりついた途端、
「ああー」
という感嘆が洩れた。それは目の醒めるようなうまさだった。
(外で食べるおにぎりはなんてうまいんだ・・・)
と自分の手中にある塊を見る。

 海苔は貴重で、黒くて小さなものが、赤子にオムツをあてがうようにペロリと巻いてあるだけだった。そこを両手で持ち周りの白い御飯のところから頬張っていく。
「うまい、うまい」
と夢中で食べた。おにぎりしかなかったがそれで充分だった。

 陽射しが暖かかく目の前に無数の石英が輝いていた。今でも山でおにぎりを頬張るとキラキラ光っていた白い斜面を思い出す。

 僕の「おにぎり」に対する偏愛傾向は、この時我が脳細胞に刷り込まれたのであろうと確信している。