マリコの部屋で「とろろ汁」 満観峰〜丸子宿

日時 2026年2月28日(土)

山域 満観峰(焼津駅=花沢の里〜満観峰〜丸子宿=静岡駅)

メンバー TN(CL、記)、MK、NS

 「丸子宿の丁子屋でとろろ汁」に反応したMKさんの熱烈な希望により、焼津〜満観峰〜静岡の山行にいってきました。

「マリコの部屋へ、電話をかけて・・・電話をかけて・・・かけて・・・ああ、電話をかけて、それからどうしたのか思い出せない、気になる、ああ・・・」とMKさんは登っている間に終始ボヤいていました。どうやら頭の中で中島みゆきの「悪女」の冒頭の部分がエンドレス再生されていたみたいです。TNはというと、丸子で思い浮かぶのは、ちびのまるこ、踊るポンポコリン、ピーヒャラピーヒャラしかないのでありまた、がこれはマリコではなくマルコでした、あしからず。

最近、焼津では「カツオトレイル」という焼津から本川根まで繋ぐロングトレイルを設定しています。1日目が焼津港スタートで高草山、満観峰に登り丸子までの22.6kmロングコース。全9ルート、平均歩行距離約20kmの長大コースです。ふと思ったのが、登山の概念では、このコースを1日で踏破するのは考えられず、これは、もしかしてトレイルランナーのためのトレイルルートなのではあるまいか、と思いましたね。◯◯トレイルというのは、バックパッカーのための長距離歩行ルートと思っていましたが、1日当たりの歩行距離や時間をしっかり調べてから実行しないと危険だなあと思った次第でありました。

【花沢の里〜満観峰】

花沢の里は、蜜柑の直売所があり、花が咲き、のどかな雰囲気でした。満観峰までは、日付が2箇所あり、特に上部にある日付は季節がら雛人形が飾ってありました。また、ロッククライミングしているミニチュアがあったり里山の雰囲気が横溢しております。

【満観峰】

山頂手前から焼津漁港が見えます。カツオ、マグロ、海鮮・・・・・
満観峰山頂。富士山がなんとか見えました。

満観峰から富士山と静岡市街

【丸子宿】

   

『丁子屋は現在まで場所を変えること無く、ここ東海道の丸子宿で400余年を過ごしてまいりました。丸子宿と言えば、とろろ汁。
とろろ汁と言えば、丁子屋。松尾芭蕉翁、十返舎一九、歌川広重、様々な紀行物語や俳句、随筆、浮世絵でも残されているように、当時の身分や立場に関係なく、行き交う旅人の道中の無事を祈り、一時のおもてなしを続けております。』~丁子屋ホームページから。全くもって贅沢の極みでした、極上の時間を堪能させて頂きました。

【駿府城址〜静岡駅】

駿府城は、輪郭式の平城で三重の堀に囲まれた構造をしています。実際、現地に行ってみると、その広さに驚きます。現在は三の丸には静岡県庁が立ち、二の丸・本丸は駿府城公園となってただっ広い公園になっています。

我が敬愛する隆慶一郎の『影武者徳川家康』では、関ケ原戦いのあと、豊臣家が滅亡すれば用済みになって秀忠に暗殺されることを悟った徳川家康は、1607年(慶長12年)7月に徳川秀忠に将軍職を譲り、大御所となって駿府に隠居しました。駿府に隠居する前年の1606年(慶長11年)に京から駿府城の南に銀座(貨幣鋳造所)を移し、秀忠には金融の実権は渡さず駿府城の蓄財に努め、ひたすら豊臣家の延命を画策します。1607年(慶長12年)12月城内からの失火により天守焼失。その後直ちに再建工事が開始され、1610年(慶長15年)に5重(または6重)7階といわれる国内最大級の勇壮な天守が完成しました。天守台は、石垣上端で約55m×48mという城郭史上最大級。1615年(慶長20年/元和元年)大坂夏の陣で豊臣家は滅亡し、徳川秀忠の天下統一が決定づけられました。1616年(元和2年)家康は、駿府城で亡くなります。一説では天ぷらに当たったと言われておりますが、秀忠による毒殺のうわさもあります。・・・・・信じる信じないはあなた次第。

JR焼津駅8:30=タクシー1,900円=8:40花沢の里駐車場8:50〜登山口〜9:45鞍掛峠9:55〜10:30満観峰11:15〜12:30逆川口バス停12:46=12:52丸子橋入口バス停=丁子屋=丸子橋入口バス停14:22=14:54県庁・静岡市役所・葵区役所前バス停〜駿府城址〜おでんフェアを冷やかし〜JR静岡駅