菅沼の城・奧平の城・そして「火縄銃かき氷」 笹頭山~田峯城址

登山日 2025年6月29日(日)

山名 笹頭山(設楽町)

メンバー TN(記)、NS

東三河の菅沼、奧平の城の中で、何故か田峯城址に行って無かったので、笹頭山+田峯城址&長篠城址、更に時間があれば作手の古宮城址、亀山城址に足を延ばして、菅沼、奧平の主要な城をコンプリートするつもりが、梅雨明けの暑さのため気合いが入らず、田峯・長篠の2城止まりとなりました。宮城谷昌光先生は、一日に4城5城と城巡りを敢行してますから、やっぱ年齢よりも好奇心と気合いの問題かなあと反省しております。

田峯観音 田峯テラスは朝から盛況

鞍掛山。四ツ谷千枚田からの鞍掛山の構図が有名ですが、個人的には田峯から見た馬に背に鞍を掛けるシルエットが好きです。

笹頭山 地味な山だけど結構な急登

田峯観音から最初の分岐で道路通行止めに遭遇し、車で山頂東側の登山口まで移動しました。が、この通行止め分岐から左の栗代方面に行き笹頭山南尾根を直登して笹頭山に登るという根性はありません。それに比べて、NS師匠の一部の隙もない気合い充分な吸血害虫対策登山スタイルはお見事です。

田峯城址 「謀ったな道善!」と菅沼定忠は言った(かも)。

田峯菅沼の本拠地「田峯城」。設楽ヶ原に参戦した田峯城主菅沼貞忠は、武田軍大敗のあと、落ち延びる武田勝頼を田峯城に泊めようとしたところ、徳川方に通じていた城代と家老今泉道善は開門せず、面目を失った貞忠は、後年田峯城を攻め落とし、家老今泉道善の首を生きたままノコギリ曳きに・・・・・ひえ~。

笹頭山。田峯城址から見る笹頭山は、意外な秀峰。地味だけど。山頂から左に伸びるのが南尾根。

長篠城址 今年は長篠・設楽ヶ原戦いから450年!

武田勝頼の包囲に屈しなかった長篠城主奧平貞昌。1万5千人の武田勝頼軍に対して、500人の長篠城守備隊で良く持ちこたえました。長篠の戦い時点で奧平貞昌21歳。武田勝頼30歳。徳川家康34歳、織田信長42歳、羽柴秀吉39歳ですから、みんな若い。

「火縄銃かき氷」 蓬莱泉販売店・新城「だわり屋」で生き返り

新城の「だわり屋」お姉さん考案の「火縄銃かき氷」一日に限定100杯は、蓬莱泉「空」の「仕込み水の氷」に、「空の酒粕を利用した火縄銃空ラッカー」をアクセントにして、小豆は山の上に居る織田軍兵、織田軍兵を叱咤するように黄金の信長像から金粉(きな粉)が降りかかり、下から攻めていく武田軍兵はイチゴの赤、なる創作かき氷です。店にはお酒の試飲もあって、好きな人には堪らないでしょう。

今回は、梅雨明け猛暑のためか、なんとなく気合いが乗らない状態で山に向かってしまったのがいけなかったと反省しております。自戒を込めて格言を一句。

  「修行じゃ!修行じゃよルーク」byヨーダ師匠