東三河のグランドキャニオンを歩く〜雁峰山

2025.3.23(日)、メンバー TN(記),KM、NS,HU,KK、山域 雁峰山(新城市)

さて、今回の「道との遭遇」は、長篠・設楽ヶ原の戦いから450年の記念の年に、設楽ヶ原古戦場を抜けて、雁峰山に登り、援軍来るの狼煙を上げようじゃないか、という企画ですが、雁峰山登山道は数年前の豪雨で登山道が洗掘されて渓谷状態で登山道も寸断されていて、しかも展望無しのマニアックな山を5人で踏破してきました。それでも今回、山行中に登山者一組に会ったのには驚きで、愛知130山を目指して登っている人は居るんだなあと感慨深いものがありました。

起点となる飯田線三河東郷駅。
いろはカルタの「ぬ」
連吾川。この用水路のような小さな川を挟んで450年前に織田・徳川連合軍と武田軍が激突したわけで、左に馬防柵、遠くに雁峰山が見えます。が、思っていた以上に狭い地形です。
馬防柵。武田騎馬軍団を迎え撃つ鉄砲隊の図。
武田騎馬軍団を迎え撃たんとするNS師匠。
いろはカルタの「つ」。土屋昌次はここまで肉薄したのかと思うと泣けてきます。やっは武田軍団はカッコいいなあ。
サクラが咲いていました。馬防柵背後の家康本陣と思しき山中でドドドドドドドドドと蹄の音が!スワ、武田騎馬隊かっ!と色めき立った我々でありましたが、人影に驚いた鹿の群れが走り去る音でした。馬でなくて鹿。
石座神社
牛倉の登山口。いろはカルタの「す」が目印。
登山口近くの民家の庭先にミツマタが咲いていた。
踏み跡を拾って歩く。先人の踏み跡は偉大だ。

一旦林道に出たところにある石座石の案内板。この、うにょ~と回り込んでヒョイといけば石座石、という大阪のオバチャン的な案内図には、右往左往させられました。
石座石。石座神社の奥宮。
これはまだ小キャニオン
雁峰山山頂
三角点
涼み松。完全に枯れています。悲しいです。
元八石。看板も錆び錆びで、近い将来字が読めなくなるでしょう。字が読めないのは石に刻んであると言われている「元八」の字も同じで、元八石、特定できません。
いよいよお待ちかねのグランドキャニオンに突入
グランドキャニオンの縁の踏み跡を辿る。グランドキャニオン核心部の底部は蟻地獄のようでとても歩けません。この高度感が写真で伝わらないのが本当に残念です。縁の木の根が浮いている。近寄ると危険。
林道まで下山。例によって錆び錆びの、のろし場と元八石の案内看板。
須長登山口に下山。いろはカルタの「す」が目印。

今回このルートは、2度目であるにも関わらず、逆になまじ2度目であったがために途中でルートをロストしそうになり、反省しきりでございました。いい訳ですが、迷いが出た原因は恐らく、地形図の現在地は尾根であるのに対して、眼前の地形は明らかに沢地形であることに惑わされて、私の脳が処理しきれず混乱したのだろうと。あの地図読みの鉄人NSさんも現在地特定に苦労してましたから、このルートはなまじ地図読みするよりも、普通に登山道を歩いている感覚でいったほうが、かえって迷わないという逆説めいた地形でありました。

雁峰山周辺の真砂土は浸食されやすく、山肌の処々で崩れている箇所が散見されます。登山道もこのまま浸食が続くのはよろしく無いのですが、現状ではなんともならんのでしょう。そのうち、登山道が荒れた沢になりそうで、それこそ東三河のグランドキャニオンなんて言ってる場合ではなく、大規模崩落のような酷いことになりそうで心配です。